ハロー、そしてさみしくないどこかへ
ずっと、考えていることがある。
冬のつめたいにおい、ひらがなの柔らかさ、唯一神をもたぬわたしの「神さま」たちについて。
あるいは、今まで出逢ったひとたち、かなしかったこと、うまくできなかったこと、それでも抱きしめていたいものたちについて。
はじめに、魔法のはなしをする。
クリスマス・イブに読み始めようと決めた「ハリー・ポッターと呪いの子」を、翌日のファーザー・クリスマス・デイには読み終えることができたわたし。
そうして久しぶりにだいすきな「魔法」に触れ、はじめて「ハリー・ポッター」シリーズの作者である J.K.ローリング女史がハーバード大学の卒業式で行ったスピーチをみた。
(公式)
(日本語字幕版)
(スピーチスクリプト・全文)
このスピーチの中で女史は、世界を変えるためにわたしたちに必要なものは「魔法」ではなく、「想像力」であり、わたしたちはすでにそれを、自身の中に持っているのだと語っていた。
We do not need magic to change the world, we carry all the power we need inside ourselves already: we have the power to imagine better.
わたしにとっての「魔法」は、言葉である。知ること、理解すること、感じること、全てにおいて「ことば」がわたしにとっての魔法だった。そしてそれはもちろん「想像力」につながる。
わたしは、「想像力」に羽を生やすことができるのは「言葉」、つまり「言語」であるとわかっている。内に秘めた「想像力」を、ひとに知ってもらうこと、理解してもらうこと、感じてもらうこと。そのためにわたしは「魔法」を使いたいと思えるようになった。
わたしは自分のすきなもの、だいじなものを発信することが今までとても不得意だった。不得意である、としていた。これはみんなにとっての「不得意」のバロメーターに当てはめたものではない。「わたし」の「わたし」による、「わたし」のための「物差し」に当てはめた「不得意」である。というよりも、それは「発信をしたくない」というポリシー?変なこだわり?だったかもしれない。つねづね、このわたし自身の性質は「臆病な自尊心」かつ「尊大な羞恥心」という虎になってしまう危険をはらんでいる自身の性質だとわかっていながらも、わたしには「わたし」として「発信」をすることができなかった。それをやっと、飼いならしていこうと思えたことについてはまたの機会にお話しする。とにかく今は、わたしのことを知っているひとたちに、あらためて自己紹介をしてみようと思う。ハロー、こんにちは、わたしはげんきです。
これから、ここにすこしずつわたしのこと、しかしわたしの全部ではないわたし、そう、まぎれもなくわたしである「わたし」を綴っていく。
あ・ず・さ(21歳)
冬生まれ。早稲田大学3年生。げんきがとりえ。すきなものは苺とプチトマトと白桃。かんたん料理の新レパートリーはカチョエペぺ。